私とボダの境界

境界性パーソナリティー障害を知ってからの私の自己整理をつらつらと

症状らしきもの

このブログは、私が境界性パーソナリティー障害(通称ボダ)を自覚してからの自己反省を兼ねた雑感となります。

 

↓境界性パーソナリティー障害に関する参考(あくまで個人的な抜粋)

境界性人格障害(境界性パーソナリティ障害) | いちメンタルクリニックは大阪市中央区にある心療内科・精神科です。

【マンガ】境界性人格障害・パーソナリティ障害 心療内科in渋谷ゆうメンタルクリニック | 渋谷/心療内科/ゆうメンタルクリニック 渋谷駅0分 渋谷駅・精神科・東京・カウンセリング

 

 

先日の初回記事にて意気込みのようなものを書きましたが、

正直なところ私が本当にボダなのかと問われると、それは多分に怪しいことかと思います。

 

普段は社交的とまではいかないまでも極力誰にでも明るく接し、諍い事は好みません。 子供の頃から、元々あまり人前でイライラしたり怒ったりするようなことは滅多に、というか全くと言っていいほどありませんでした。

実際これまで、不安の穴埋めと感情のぶつけ先の相手を探してとっかえひっかえしたようなことは一度もなく、身内に私の人生を悲観的に語るようなことはほぼありません。

誰かを責めたり怒鳴ったりするような行為も、今の彼が初めてなのです。

 

 ただ精神疾患の難しいところは、その発症から完治に至るまで、ハッキリとした区別がないところにあります。

もし私の行為が、病気の最初の一歩なのだとしたら。

病名を知り、自己を冷静に振り返り反省できるくらいなのだから、気のせいなのかもしれない。

でもこれから優しい彼につけこんで、周りの人まで巻き込んで、エスカレートし本当に病気と呼ばれる日がきてしまうかもしれない。

用心するに越したことはないと、切に感じます。

 

 

せっかくなので、ボダを認知してからそれに近いと思われる自身の症状や行動を列挙してみたいと思います。

 

1.顕著な気分反応性による感情不安定性(感情のブレーキが効かず、ちょっとしたことで癇癪を起こしたり、激しく怒り、傷つきやすい)

2.信頼できる相手から見捨てられることを強く恐れ、不安を抱いている。

3.自傷行為

4.空虚感

5.自己を傷つける可能性のある衝動性(私の場合、浪費)

 

冒頭の参考リンクや、ウィキペディアさんから一部言葉を借りさせていただきました。

1についてはどう説明したらいいかわからないのですが、冒頭参考の二つ目にあげたマンガに出てくる例がまさにそれ、といった具合です。

普段は明るく、パートナーといるときは少しわがままで甘えたですが(自分で言うのも恥ずかしいですが(笑))、本当に些細なきっかけ――それは時に物が落ちただとか大きな音がしただとか、相手になんら落ち度のないことだとしても――怒りや怯えの感情が振り切ってしまうのです。

客観的に考えれば、ついさっきまで上機嫌だった人が突然やめてと叫び出し、それはそれは不可解なものでしょう。

それで相手が少しでも混乱を見せたり、不満な顔を見せれば、2のような不安感にひたすら苛まれます。何度も何度も、私のこと嫌なの!?嫌ならもうやめて!!と叫び、そうじゃないよ、と相手がいくらなだめようとしても、嘘つきと言って不安が収まることはないのです。

それが酷いときに、私の場合は自らを掻きむしったり、壁に手を叩き付けたりという自傷行為に及びます。

 そして少し落ち着いたかと思っても、もう全部なにもかも駄目、という空虚感や絶望感に襲われます。

ウィキさんの言葉を借りるならば、まさに

"激しい怒り、空しさや寂しさ、見捨てられ感や自己否定感など、感情がめまぐるしく変化し、なおかつ混在する感情の調節が困難であり、不安や葛藤を自身の内で処理することを苦手とする"

といった感じなのです。

 

補足ですが、もし外出先で感情の衝動が出た場合、決して大声を出したりはしません。咄嗟に店員さんにもニコッと出来ます。

そのパートナー以外には、そんな私の感情のブレなどおくびにも出さないのです。

私の場合、それは家族や友達であっても例外ではありません。

そもそも私は他人に対し明るく振る舞うのは得意中の得意なのです。

 

ただひとり私の彼だけが理解者であるかのように振る舞い、だからこそ異常なまでに愛情を渇望し、どう思われているのか、そんな私の姿に呆れてはいないのか、不安感でいっぱいになり、そんな私でも受け入れてくれるかを必死に試すように暴れてしまうのです。

 

感情が爆発する頻度としては、彼と長い時間一緒にいる日につき大体1回程度です。現在同棲しているわけではないので毎日とはなりませんが、会う日のうち一日中大人しくいられる日のほうが確実に少なかったと思います。

その爆発のレベルもまちまち。一緒に家で過ごしている際は、私が危なそうだとわかるとすぐなでてくれたり抱きしめてくれるなどして、落ち着かせてくれて事無きを得ることもあります。

とりわけ電話をしている最中に起こった際は、酷い場合が多いようにも感じます。

元々大人しく口下手な彼なので、スキンシップによる安心を得られない電話だと言葉と声色だけで判断しなければならないため、不安が増長されてしまう場合が多く悪化するのでしょう。

 

そして私が爆発してしまうことがあるたびに彼は、また怒らせちゃったなあ、どうして上手くやれないんだろう、ごめんね、と言ってくれるのです。

 

 

そんな優しい彼だから、私はこの病気の存在を知った時、真っ先に冒頭の参考リンクを彼に送りました。幸いにも彼はうつ病をはじめとする精神疾患にも理解があったので、何の抵抗もなく伝えることが出来ました。

 

私はこうかもしれないから、決してあなたのせいなんかじゃないから、

どうかもう自責の念に駆られないでほしい。

 

 

 だいぶ話が逸れてしまいました。

私のボダらしき症状についての話に戻ります。

なかなか興味深かったのが、自己を損なう行為(薬物・アルコール・セックス・万引き・過食・買い物など)に依存しやすくなる、という内容が症状の一つに書かれていたことです。

5で挙げたように、私には買い物や物収集への依存が確実にあると思います。

 

これは感情に関する症状が現れるより何年も前からありました。

実は数年前、どちらかといえばうつに近い状態の時があり、その時何もできない虚無を埋めるかのようにゲームへの課金や好きなキャラクターグッズの収集に傾倒するようになりました。元々オタクではありましたが(笑)、今では立派ないわゆるグッズ厨と呼ばれるような人種にあたります。

彼とお付き合いを始めてからは、何か欲しいと思ったときやイベントの際はなるべく相談をし、協力してもらいながら少しずつ出費を減らすようになりました。

それでもやはり金銭感覚の歪みはそう簡単に戻るものではなく、今でも全く抜け出せてはいません。

 

恐らくこのような症状は、対人関係における不安感や愛情の渇望を埋めるようにして、生じてしまうのでしょう。

 

そこで私はそういえば、と思い当たる節があるのでした。

もともと普段より明るく振る舞うことが得意な私ですが、誰かから嫌われるのを酷く苦手とする部分があります。

それと同時に、私は私の身近にいる皆のおかげで今の私がやっていけている、という意識があります。

中学生の頃は特に、友達が一番大事で周りの皆がいるから私の幸せがある、そんな思考であったように思います。

 

それは博愛心であったり、仏教用語でいう諸法無我(「世の中のものは全て単独で存在しているのではなく、関わりの中で生きている」という意味)の精神なのですが、

 

裏を返せば、自己像の不安定さの顕在にもなりえる意識なのかもしれません。

 

 

話が逸れに逸れてしまいましたが、なんだかボダに沈みゆく自身の本質と課題がぼんやりと見えてきたような気がします。

また別の機会にでも、自身の生い立ちを書き並べてみるのも、新たな発見につながり面白いかもしれません。 

 

 

相変わらず乱文となってしまい恐縮ですが、誰かのちょっとした気づきや気晴らしになれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。